松原橋 実は牛若丸と弁慶の決闘の地

鴨川に架けられた五条大橋は、かつて牛若丸(源義経)と弁慶の出会いの場と言われていますが、じつはこちらの松原橋がかつての五条橋で、当時は通りの両側に見事な松並木があったことから松原五条橋と呼ばれていました。

橋のある松原通は平安時代の五条大路であり、清水寺の参詣道でもあったことから、人の往来も多く、大変な賑わいの都のメインストリートだったのです。

また、安土桃山時代に、豊臣秀吉が方広寺大仏殿造営の際、ここに架かる橋を平安京・六条坊門小路(現在の五条通)に架け替えをして、五条橋と称しました。その時に名称から「五条」がはずれ、松原橋と呼ばれるようになりました。

五条通より北にある松原通。その松原通に架かる橋「松原橋」は祇園、東山界隈へ、地元の方には抜け道として、観光の際にも祇園、東山直結する非常に便利なこの橋を渡ることしばしばですが、何気なく通っていた橋にもこんな話があったとは。

五条通は国道一号線として、また、地元民には言わずと知れた大通りです。鴨川に架かる五条大橋は京都の橋の中でも幅広く交通量も多い、交通の要でもあります。観光で来られる方も名神高速道路の東、南インターへ繋がる主要道路ですね。

ここを通られた方はこの橋の西側に牛若丸(源義経)と弁慶の像がありますが、実はその北にある松原橋が伝説の場所だと思い出してください。

きせつ正月事業化プロジェクト|新しい季節がはじまる「四立」の立春、立夏、立秋、立冬を季節毎のお正月として祝い・遊び・楽しむ行事

[きせつ正月]で行事を行う四立(しりゅう)とは、 古代中国で考案された暦「二十四節気(にじゅうしせっき)」の 「立春」「立夏」「立秋」「立冬」の「立」のことで「立」は新しい季節の始まりを意味しています。私たちの先人は、「自然」を畏敬の念と感謝の気持ちで享受し、「自然の恩恵」と共に暮らしてきました。環境に合わせた「暮しの工夫」は各 地の風習、言い伝えとして「料理」「住い」「器」「衣装」「祭り」「芸能」などに伝承され、「郷土文化」として醸成されてきました。しかし、暮らしの一様化や快適・利便性の追求、都市部への人口集中、そして少子高齢化などから、日本各地の文化や風習、風景などが、消えつつある現実があります。「郷土文化」は、暮らしの根幹を教えてくれる「教本」でもあり、決して失ってはならないものです。そこで、郷土文化を受継ぎ・見直し・伝承するため、「心と暮らしの豊かさの再見」をテーマにスタートしたのが「きせつ正月」プロジェクトです。日本文化のメッカと言われる京都に拠点を置き、伝承すべき文化の「再見」「体現」「継承」を行っています。文化体験をすることで、伝統産業に関わる職人を動かし、その技、精神を伝え、守ることとなり、文化の継承へ繫がると私たちは考えます。これからもより多くの方々が京都の文化に触れる機会を[きせつ正月]事業で創出し、文化の継承に貢献できるよう行動して参ります。[きせつ正月]には、一般的なお正月同様に、「きせつ詣で」として神社仏閣へ参拝しましょう。 また、新しく迎える季節のお祝いには縁起物として【福】のたくさん詰まった「節福酒」「節福茶」を飲み、 「節福料理」「節福菓子」で季節の【福】を堪能して下さい。節福(せちふく)の、「節(せち)」は季節を表し、「福(ふく)」は自然の豊かな恵みが運ぶ幸せを表します。 心と身体に取入れ季節の始まりを祝うおもてなしです。京都市内を中心に行われる四立の行事を通じて、 季節・自然への感謝と、日本文化の暮らしの叡智「季節・暦文化」を再見しましょう。※四神=玄武(北)、蒼龍(東)、朱雀(南)、白虎(西)※四立の日は年により変わる場合があります。[きせつ正月]は、年間を通じて行事が行われますが 主に季節と方角によって分けられた地区ごとに、立の日を「節福大大吉」として、 それ以外を約1ヶ月間「節福大吉」として、季節の福が詰まった、縁起の良い大

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京の雑学ー豆知識と暮らしの知恵としきたり

京の雑学では、一年の中にちりばめられた、私たちが幸せに暮らすための知恵「吉例」や、暮らしのバイブルである「二十四節気」など、日々を楽しく豊かにしてくれる雑学、豆知識を紹介しています。「吉例」は縁起の良いしきたりのこと。自然の恵みである太陽、月や神様、仏様、御先祖様に感謝を伝える為に古くから受け継がれてきたことです。しきたりの心を知り行えば日々楽しく、豊かに暮らせるのではないでしょうか。